NO NUKES 2012を観て
昨日今日と、NO NUKES 2012のUSTREAMを観ている。
いまは、まさにクライマックス。YMO。

そして、わたしの頭の中はぐるんぐるん。
料理をしながら、アイロンをかけながら、
いろんなことを考えている。

まず、数日前に、このフェスがUSTREAMで中継すると知り、大変驚いた。
同時に、本来そうあるべき!と思い、
それに対して、賛同したスタッフの皆さんがスゴイと思った。
その想いは、リアルで、強い、と感じた。

311以前は、脱原発を訴えている活動家に出会うと、
たいていの人は、「変わりものね」と言っていた。

それが、いまは、SNSで堂々と意見を述べられる。

わたしたちは、ふくしまの皆さんの犠牲のもとに、
自らのエネルギー環境を知り、学んだ。
これまでの無関心を恥じた。

わたしは、脱原発を強く願う日本人のひとりだ。

確かに、いま、このブログを書いているPCも、
電気を使っているわけで、
原発がないと、本当に電気が足りなくなるのか、
実は、十分にあるのか、
真実さえも分からないわたしだけど、
脱原発したい揺るぎない理由がひとつある。

人間は、放射能を無毒化することができない。

これは、自分たちが生み出したものに対して、
対応策を持っていない、ということ。

何が安全だ。

この美しき日本に、立ち入れないエリアができたのに、
なぜ、そうなってまでも必要なのか…
わたしには、理解できない。


今日の夕方には、トータス松本さんが、
忌野清志郎さんの歌を歌っていた。

忌野清志郎さんは、いま天国でなにを思っているだろう。
彼が、反原発の歌を歌って、CDが発売禁止になったのは、
もちろん、311のずっとはるか前。
まだまだ日本人が消費社会の真っ只中にいる頃。

「てめぇら~、きづくのおっせーんだよ~」
って言いながら、派手なマントをかざして、
舞台袖から出て来そうな…w

彼のカリスマ性を語るとなると、
またさらなる時間が必要になるけれど、
こういった具体的なメッセージを掲げるフェスで
本人不在のまま、登場できて、
ヒット曲を持っているアーティストが
自らの歌を歌わずして、故人の歌を歌う…。
しかも、スタイルのある若者たちが、
そのライブの瞬間を楽しみにしていて、
USTREAMで観る。
きっと、多くの人がそれを観ながら泣いている。
ちなみに、これは追悼フェスではない。

彼は、わたしたち世代に、
どんな方法で、こんなに強く優しいメッセージを
残して行ってくれたんだろう…。



YMOは、変わらず素晴らしかった。そして新しかった。

あの世代の人と、原発についての意見交換をしたくて、
たまに、「どう思います?!」と聞いたりしている。

すると、ほとんどの人が、
「よく分からないけれど、雇用の問題があるからね~」
と返してくる。

原発周りで働く人が職を失うと困る、という回答だ。

311を経験しても、そんな呑気な答えを出すのか。
その世代に絶望しかかっていたわたしたち世代には、
YMOの皆さんの存在は、本当に心強い。
そして、あんな風に生きたいと思わせてくれる数少ない大人たちだ。



NO NUKES 2012が終わった。
まだ、興奮冷めやらぬ…そんな感じ。

最後に、あとひとつ、大きな再確認をした。

今回は原発問題だったけれど、
やはりチャリティや環境問題といった
皆で解決していかなければならない課題をメッセージする
イベントやプロジェクトは開かれていないと意味がない、ということ。

日々、わたしは、その分野の仕事に携わらせていただいているけれど、
純粋な想いのもと、利益不利益関係なく、
多くの人に知ってもらい、アクションしてもらうために、
そのプロジェクトに関わるすべての人の心が開かれ、
アクションが開かれ…
そうしていくべきだ、と改めて実感した。


さて。

昨年の今日、59歳で亡くなった友人のためにも、
日本酒を一杯いただいて、寝ることにしようと思う。
固定リンク | comments(0) | trackbacks(0) | この記事を編集する
<<手間をかけるということ | わたしのひとしずく >>